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第24回 事故さえしなければ良いという気持ちは捨てる
数学の試験は、方程式等を理解すれば解けるもの(らしい)。
方程式等を理解すれば国語の試験よりも100点を採りやすい(はず)。
その代わりに方程式等を理解していなければ0点の可能性がある。
国語の試験は、ある程度の一般常識があれば何問かは解けるもの。
その代わりに応用力や読解力が求められる。
だから決まった解答がある数学の試験と比較して、100点は取りにくいもの。
その反面、国語の試験は0点になる可能性は少ない。
簡単そうに見られがちな物流ですが、実は100点を取るのは難しい。
現場では誰もが平均点以上を採りやすいが、100点を採るのは難しい。
物流を学科に例えると「数学ではなく国語に近い」ように思います。
現場では方程式にあてはまらない状況がたびたび発生することも、その理由のひとつ。
日常の仕事には、あらたまって試験の機会はございません。
その代わりに毎日が試験のようなもの。
学生時代は試験に向けて勉強に励むもの。
その結果、留年になる場合もあります。
仕事には日々の仕事(試験)の結果により、留年よりも厳しい降格があります。
ドライバーの場合は交通事故を起こせば、降格以上の「一生を掛けても償いきれないペナルティ」を背負うこともあります。
かの有名な「学問のすゝめ」は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との一文で始まります。
最初は誰もが平等ですが「学んだか学ばなかったか」の差によって、その後の人生が変わるという意味合いらしい。
「だから学問をすべき」との考え方。
だからタイトルは「学問のすゝめ」
置き換えると「運送会社に入社した時には誰もが横一線の状態」だと言えます。
運送会社が、社員が入社後に「何をどれぐらい教育するか」で、社員の考え方や行動の優先順位が形成されているように見受けられます。
特にドライバーは教育の内容と結果により、仕事だけでなく人生が大きく変わるということ。
・ドライバーが道の上での安全に失敗すれば、自らや第三者の落命にもつながる
・ドライバーが客先の品質で失敗すれば、全員の仕事が無くなり家族の生活にも影響する
今回のコラムタイトルは「事故さえしなければ良いという気持ちは捨てる」
当社の研修を受講された若いドライバーが、受講後アンケートに記載してくださった一文です。
その時のドライバー研修は以下のような内容でした。
・事故さえしなければ「何をしなくても良い」のではない
・事故さえしなければ「何をしても良い」のではない
・事故を起こさずとも他に「やるべきこと」や「やってはいけないこと」があるはず
さて、あなたの運送会社ではドライバーに「何を教えていますか?」
運送会社では、安全や品質を指揮命令者のそばでドライバーが提供するのではなく、ドライバーの一瞬の判断により提供するものです。
だから運送会社のドライバーこそ、工場や店舗で働いている人よりも教育が必要ではないでしょうか?
運送会社における社員教育の機会とは、社員であり仲間であるドライバーの人生を思い、その責任や愛情により創出されるものです。
以上、「ドライバー教育のすゝめ」でした。
ありがとうございました。
次回は5月16日(金)更新の予定です。
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